日本の近代化に関する覚書

かつて鴎外が「日本は未だ普請中だ」と作中の男をして言はしめたやうに、近代化といふことが、日本の最重要課題であつたのだが、それから、百年以上を経た今、いつたい誰が近代化のことを考へてゐるだらうか、まことに心許ないものがある。近代化はまだ終はつてゐない。といふことはつまり、近代が始まつてゐないといふことだ。日本は湖面に浮遊する舵のない船だ。この船の舵を作らうとして、明治の日本人ーー漱石、鴎外、それから芥川などーーは時に精神を病みながらも、煩悶を重ねたのであつたが、彼らの苦闘は、解決を見ることなくして、今ではすつかり忘れ去られてしまつた。近代化といふことは、あまりに難しい問題だつたから、後代の知識人は、皆んな、立ち向かふことを諦めてしまつた。いや、といふよりも、知らないふりをするやうになつてしまつたのだ。日本の近代化は終はつた、と考へることにしたのだ。

   

さういふ知的怠惰とは対照的に、福田恆存氏は、近代化といふ大問題に、真つ向から勝負を挑んだ最後の誠実な日本人であつた。この誠実な人の言葉に耳を傾けようとすることが、日本人にとつての、知的誠実への第一歩にならうと私は信ずる。福田氏は、わが国が生んだ大いなる父だ。福田氏の放つ、嘘偽りのない言葉の数々は、その厳しさゆゑに、多くの人とつて不快ものとならうと思ふ、だからこそ、日本人よ、進んでこの毒を飲め、さうして嬉々として己を傷つけよ。私はさう斷言したい。