「菊を想ふ」を想ふ

『春のいそぎ』を知つてゐるか。断言しよう。近代日本史上、最高の詩集はこれなり。作者は、伊東靜雄といふ人。古言の用ゐ方で、この人の右に出る者はない。『春のいそぎ』は、まさにその白眉といふべき書だ。


 その中でも、「菊を想ふ」がいちばん美しい。日本人ならば、これくらゐ暗誦できなくてはならぬ。


垣根に採つた朝顏の種

小匣にそれを入れて

吾子(あこ)は「藏(しま)つておいてね」といふ

今年の夏は ひとの心が

トマトや芋のはうに

行つてゐたのであらう

方々の家のまはりや野菜畑の隅に

播きすてられたらしいまま

小さい野生の漏斗(じやうご)にかへつて

ひなびた色の朝顏ばかりを

見たやうに思ふ

十月の末 氣象特報のつづいた

ざわめく雨のころまで

それは咲いてをつた

昔の歌や俳諧の なるほどこれは秋の花

――世の態(すがた)と花のさが

自分はひとりで面白かつた

しかしいまは誇高い菊の季節

したたかにうるはしい菊を

想ふ日多く

けふも久しぶりに琴が聽きたくて

子供の母にそれをいふと

彼女はまるでとりあはず 笑つてもみせなんだ


意味など考へなくて良い。いづれ分かる日が來るから。

    「人はパンによつてのみ生くるにあらず」、さう聖書に書いてある。西洋人は、このことを皮膚感覚で理解してゐる。また西洋人にあらねども、われわれの祖先もまた、確かにこの事を理解してゐた。しかし、今、本氣で、この言葉を信じてゐる日本人がどれほどゐるのか、私は甚だ疑はしく思ふ。